企業情報

《接客を知らない不器用な居酒屋、宣伝広告を一切しないのに儲かる仕組み。》それを実践している飲食コンサルティング「株式会社自分に惚れろ」とは?!

会社名 株式会社自分に惚れろ 
ホームページ  
住所 愛知県名古屋市中区栄5-12-29 
電話番号 052-241-6611 
代表者名 紺田泰希 
代表者の座右の銘 成功の秘訣は自分に惚れること!
幸福の秘訣は馬鹿者になること! 
お奨めの書籍 自分に惚れろ(著:紺田泰希) 
設立 2008年 
従業員数 1名 
事業内容 飲食店コンサルティング、居酒屋経営、人材育成講演活動 
今後の事業展開
ビジョン
教育事業 
取引希望企業 飲食店経営企業
飲食店起業をお考えの方 

代表取締役 紺田泰希 

エージェントレポート
紺田社長に一目会って話を聞くと不思議な魅力に取り込まれてしまいます。しばらく話すとざっくばらんな話し方の裏側にある緻密で計算された紺田流の哲学に虜にされてしまうでしょう。著書「自分に惚れろ」のファンも数知れず。経営だけではなく、人生の成功者・幸福者になりたいと思う方は一度、居喰家「自分に惚れろ」に行って紺田社長に会ってみて下さい。ご本人はとても気さくな方で、居酒屋のおやじと公言されていますが、ただの居酒屋のおやじでないことがすぐ分かります。(取材:野田卓司) 

経営者インタビュー

「株式会社自分に惚れろ」、インパクトのある社名ですが、事業内容と社名の由来を教えてください。
事業内容は飲食店コンサルティング、居酒屋経営、その他講演活動です。
会社名の由来は、7年前から行なっていた「自分に惚れろ」講演で知り合った出版社で出版した私の著書「自分に惚れろ」ですね。会社設立の際に知り合いから会社名は「自分に惚れろ」しかないやろ!と言われてそのまま会社名にしました。

飲食店は人通りが多い場所(中心部や繁華街)にそれなりの店舗を出せばそれなりに流行るでしょう。でも成功要素をもっているものをコンサルしても何の面白味も信憑性もないでしょう。

『辺鄙な場所で宣伝広告は一切しない!でも、儲かっている居酒屋』の経営方法って興味沸きません?
そんな経営している経営者にコンサルティングしてもらったら成功するイメージ持てませんか?

居喰家「自分に惚れろ」には
・居酒屋を繁盛させる非常識の13ヶ条
・宣伝広告費ゼロで集客する秘訣
・日本でイチバン元気のない居酒屋を目指す秘密
・メニューを固定化しない恩恵

などの一見(?)なことがたくさんあります。
これは商品を売らずにコンセプトを売る。ということなのです。

何を喰うじゃなく、どんな雰囲気で誰と喰うか?がお客様の求めている重要なことなのですよ。

今後も『潰れさせないコンサル』『逃げないコンサル』を実践していきたいと思っています。
社長の過去のお仕事、会社立ち上げ時の経緯を教えてください
私は元々、建築関係の仕事をしていました。その後、平成9年に建築の会社を立ち上げて建築事業を始めました。その仕事で今から4年前に大阪から大手飲食店の設計の仕事で名古屋に来たのが名古屋での起業のきっかけですね。私は店舗設計や内装の仕事でしたが、仕事の傍ら、その飲食店をコンサルティングしている飲食コンサルタントの仕事ぶりを間近で見ることができました。しかし、その内容はとても「?」がつくものでした。ノウハウは素晴らしいし、成功事例もたくさんある。しかし、既成のものを当てはめているようにしか感じませんでした。それは本当の意味での飲食店コンサルティングではないはずだと。大手には大手のやり方があるだろうし、それを否定するつもりはないですが、私は素材ではなく、あるもので勝負することを信念としています。そこには緻密な理論と人の心理を理解した上での戦略・戦術を駆使して。

しかし、結果を持っていないコンサルタントの言うことなど誰も聞いてくれるはずもありません。じゃぁ、自分でやってやろうじゃないか、と思って居喰家「自分に惚れろ」を始めました。

私にとっての居喰家「自分に惚れろ」は計画・実践・検証・ノウハウ蓄積の(PDCA)の場なのです。
会社経営での一番の苦労話を教えてください
そうですね。なかなか融資がおりなかったことですかね。当初は2年という期限で名古屋来ていましたから大阪に住民票があったため名古屋での新規ビジネスに名古屋での融資がおりなかったんですよ。それならば地元の大阪だと思い、大阪で融資を受けようとしても「そのビジネスは名古屋でしょ」ってな具合でしたね。
これには苦労しましたね。
そんな時に人の縁で出資してもらえる方が現れたのと、そのタイミングで名古屋での起業をして最終的には融資してもらいました。
融資先からは3年返済計画を提案されましたが、1年返済にし、おかげ様でつい最近1年で返済完了することができました。
どんな学生でしたか?また、社長の子供の頃の夢はなんでしたか?
自由奔放な幼少時代。中学は悪くもなく普通。高校で体を壊して帰宅部になりました。
大学は九州大分県に行きました。大学ではアメフト部に入り、最高の4年間を過ごしました。そこがターニングポイントだったと思います。友人の死という悲劇もありましたが、そこで「いつ死んでも!悔いを残さないよう」という想いが生まれましたね。

そこから、私は一生懸命でなく、『一瞬懸命』という想いでやってきました。

正直、子供の頃に「○○になりたい」等の夢はなかったですね。
また社長にはなろうなんてことは露にも思っていなかったですね。
父親が事業をしていたので、事業の大変さや母の苦労などよく分かっていましたからね。

でも、今こうして社長業をしているのは血筋なのかもしれませんね。
自分で“判断”し“決断”するのは社長の務めだし、社長しかできませんからね。自分の性には合っていると思います。
紺田社長の今後の夢を教えてください。
当初、私には5つの夢がありました。
1. 「自分に惚れろ」講演活動
2. 書籍「自分に惚れろ」を出版
3. 法人「自分に惚れろ」を設立
4. 居酒屋「自分に惚れろ」を出店
5. 人望塾「自分に惚れろ」を開塾
正直、現段階で1〜4までは既に実現しているので、5つめの人望塾を開くことですね。

人望塾?と思われるかもしれませんが、実は3年前から始めていることで自然とふれ合い“田植え”や農作物の栽培を通じた教育の人望塾を55歳から本格的にスタートさせるつもりです。


そこでもその地で栽培した食材を使った料理が食べれる居喰家「自分に惚れろ」を開店して、遠方でも紺田に会いたいと思ってもらえる方にだけ来てもらう店をオープンさせようと思ってます。

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